秀英体の歴史 History of Shueitai
秀英体の
現在・過去・未来
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1896(明治29)年
「活版見本帖 未完」より四号活字 -
1914(大正3)年
「活版見本帖」より
四号活字 -
1949(昭和24)年
1月 彫刻母型原字 -
1949(昭和24)年
4月 彫刻母型原字 -
1949(昭和24)年
8月 彫刻母型原字 -
1949(昭和24)年
10月 彫刻母型原字 -
1951(昭和26)年
10月 彫刻母型原字 -
1963(昭和38)年
5月 彫刻母型原字 -
1967(昭和42)年
10月 彫刻母型原字 -
1973(昭和48)年
CTS搭載
秀英細明朝 -
2009(昭和21)年
平成の大改刻
秀英明朝L
本文用の秀英明朝体の変遷
秀英体は、大日本印刷の前身である秀英舎の時代から、100年以上にわたり開発を続けている書体です。
近代化が急速に進展した明治初期に、秀英舎は印刷を「文明の営業」と表現して活版印刷に力を注ぎ、やがて自社で活字の開発にも取り組み始めました。およそ100年前の明治45年(1912)には、初号から八号までの各活字サイズの明朝体が揃います。完成した秀英体は「和文活字の二大潮流」と評され、現在のフォントデザインに大きな影響を与えています。
活字書体として誕生した秀英体のデザインは、活字の大きさや時代のニーズに合わせた、豊富なバリエーションが特徴です。気骨ある迫力の初号、流れるように繊細な三号、そして安心感と明るさを兼ね備えた秀英明朝Lなど……。根底に共通するいきいきとした筆づかいは、ことばに雄弁な表情を与え、あざやかに彩ります。
この100年、文字をめぐる環境は活版印刷からDTP、そして電子書籍へと大きく変化しています。しかし、いかに環境が変わろうとも、文字はコミュニケーションの基盤であり、美しく読みやすい書体が果たす重要性は変わりません。
さらに変化するであろう次の100年に向け、2005年から秀英体のリニューアルプロジェクト「平成の大改刻」に取り組んできました。常に新しく生まれ変わり、最前線で使われ続ける書体であること..秀英体とは、革新の姿勢そのものだといえるでしょう。
大日本印刷の前身である秀英舎
年表
活版印刷用の活字書体として誕生した秀英体も、現在では印刷のみならず、ディスプレー表示や電子書籍にいたるまで利用シーンが広がっています。技術の変化とともに、秀英体も変化してきました。
*1 ベントン彫刻機
増加する出版印刷に対応するため、母型(活字の金型)製作を機械化しました。
*2 組版用の大型コンピューター
*3 デジタルフォントの開発画面
明治
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1876年
明治9年
現在の銀座・数寄屋橋交差点付近で、秀英舎が創業。
スマイルズ『改正西国立志編』洋装本印刷。
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1881年
明治14年
活字の鋳造設備導入。自社で活字を作り始める。
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1882年
明治15年
活字の製造販売部門である「製文堂」を設立。
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1889年
明治22年
「五号活字見本」発行。自社で書体の開発を本格化。
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1903年
明治36年
総合見本帳「活版見本帖 Type Specimens」発行。
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1910年
明治43年
総合見本帳「活版見本帖 Type Specimens」発行。
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1912年
明治45年
全活字の整備終了、初号から八号までの秀英体完成。
大正
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1914年
大正3年
総合見本帳「活版見本帖 Type Specimens」発行。
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1915年
大正4年
ポイント活字の母型が完成。
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1923年
大正12年
関東大震災の被害を受け、秀英舎本店を市谷に移転。
昭和
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1935年
昭和10年
秀英舎と日清印刷が合併し大日本印刷と改称。
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1948年
昭和23年
ベントン式母型彫刻機を導入。母型製造の機械化。*1
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1951年
昭和26年
彫刻機による新型母型「A1明朝」が実用開始。
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1958年
昭和33年
金属活字のサイズをポイント制に統一し、号数制を廃止。
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1968年
昭和43年
A1明朝原字を細型化する改刻作業開始。
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1976年
昭和51年
コンピューター組版用に秀英体のデジタル化開始。*2
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1981年
昭和56年
写研より写植用文字盤「秀英明朝SHM」発売。
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1987年
昭和62年
モリサワより写植用文字盤「秀英3号」発売。
*1 ベントン彫刻機
増加する出版印刷に対応するため、母型(活字の金型)製作を機械化しました。
*2 組版用の大型コンピューター
平成
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1992年
平成4年
秀英体拡充計画開始(字種拡張・ファミリー化)。
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1995年
平成7年
電子書籍向けに秀英体のライセンス提供開始。
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2003年
平成15年
市谷工場の金属活版印刷を終了。
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2004年
平成16年
かな書風の変遷を体系化した「秀英体研究」を発行。
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2005年
平成17年
秀英体リニューアルプロジェクト「平成の大改刻」開始。*3
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2009年
平成21年
改刻した「秀英明朝L」をモリサワより発売。以降、秀英体ファミリーを順次発売。
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2011年
平成23年
「秀英体100」展開催。
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2013年
平成25年
『一〇〇年目の書体づくり -「秀英体 平成の大改刻」の記録』を刊行。
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2014年
平成26年
モリサワ「TypeSquare」より秀英体ファミリーのWebフォントを提供開始。
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2015年
平成27年
かな書体の復刻と角ゴシックのウエイト拡充。(5書体を開発)
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2016年
平成28年
活版印刷の風合いを再現した「にじみフォント」を開発。
*3 デジタルフォントの開発画面
活版時代の秀英体
号数活字時代の見本帳から、書風が安定した完成期の書体を掲載しました。
秀英体、と一口に言っても、これほどバリエーションに富んでいます。
秀英体を代表する秀英初号ですが、その登場は、実は一号よりも遅いものでした。この特徴的な書風は明治29年(1896)にすでに登場します。初号から文字サイズが小さくなるにつれ、ふところが広くとられ、徐々に可読性に重きをおかれる文字設計がなされています。
秀英細明朝体は、戦後すぐの母型彫刻機導入とともに新規開発されたA1書体をデジタル化した書体です。その後「平成の大改刻」を経て、現在は「秀英明朝L」として出版・広告・電子メディアなどで利用されています。この秀英細明朝体=A1書体を他の秀英体と比較すると、骨格が秀英四号に似ているのがわかります。
秀英四号のひら仮名は、2015年にデジタルフォントで復刻し「秀英四号かな」「秀英四号太かな」としても受け継がれています。
秀英四号以外の号数活字にも、現在に残るデザインがあります。
秀英初号は、株式会社写研から「秀英明朝(SHM)」(写植書体)として発売され、またDNPの「平成の大改刻」では「秀英初号明朝」として復刻しました。秀英三号と五号のひら仮名は、株式会社モリサワから「秀英3号かな」「秀英5号かな」として発売されています。
こちらに掲載した初号から六号までの見本帳は『秀英体研究』第4章に原寸掲載されています。
号数活字の詳しい研究は第5章に掲載されています。
なお秀英初号から六号までは欣喜堂・今田欣一氏による画線修正済みデータを画像化したものです。
※初号=42pt、一号=27.5pt、二号=21pt、三号=16pt、四号=13.75pt、五号=10.5pt、六号=8pt にそれぞれ相当します。
秀英初号明朝(昭和4年)
秀英一号明朝(大正15年)
秀英二号明朝ろ号(明治45年)
秀英三号明朝(昭和4年)
秀英四号明朝(推定昭和3年)
秀英五号明朝(大正2年)
秀英六号明朝(大正15年)
秀英細明朝(平成9年)
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参考:平成明朝W3
活版印刷の職人たち
“その手が文字をつくるまで”
DNPは1876(明治9)年の創業以来、書籍や雑誌の印刷を通じて出版と深く関わってきました。長年にわたり出版文化を支えたDNPの金属活字による活版組版部門は、印刷技術の変化に伴い2003(平成15)年、127年の歴史に幕をひきました。
これまで日本の出版文化を支えてきた活版印刷職人の技を、「活版印刷の流れ」と、各工程の詳細「① 作字」「② 鋳造(ちゅうぞう)」「③ 文選」「④ 直彫り」「⑤ 植字」「⑥ ゲラ刷り」の全7編で構成された映像で紹介します。各工程の映像では、手法や道具の工夫点やノウハウを、職人のインタビューを交えて解説します。
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その手が文字をつくるまで -活版印刷の職人たち- 活版印刷の流れ
DNP大日本印刷による活版印刷のアーカイブ映像です。2003(平成15)年3月、DNPは印刷技術の変化にともない、活字鋳造と組版事業を終了し、127年に及ぶ歴史に幕を閉じました。
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① 作字
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② 鋳造(ちゅうぞう)
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③ 文選
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④ 直彫り
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⑤ 植字
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⑥ ゲラ刷り